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フュッセンの古城 2 -zwei Schlösser in Füssen 2-
2008/04/13(Sun)
フュッセン(Füssen)の2つ目の城は、ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)です。

  Füssen
ディズニーの城のヒントになった、白亜の殿堂ですが、この城の城主ルートヴィヒ2世(Ludwig II.)は、必ずしも幸せな一生を送ったわけではなかったようです。

Nach der Besichtigung beim Schloss Hohenschwangau haben wir das Schloss Neuschwanstein besichtigt.

Füssen Füssen
1864年3月10日、バイエルン王でありルートヴィヒ2世の父、マクシミリアン2世(Maximilian II.)の急死により、まだ18歳のルートヴィⅡヒは、突如バイエルン王となりました。190cmを超える長身、母親ゆずりの美貌を持ち合わせていた王は、たちまち国民の人気を呼んだのですが、厳しい英才教育は受けていたものの、王としての教育はおろか、父親の仕事を間近に見る機会が1度も無かったルートヴィヒ。それでも、王になったその志は高く、民衆を心から愛していた王は、自ら日常の雑務に取り組んでいました。
しかしながら、幼い頃から見ていたホーエンシュヴァンガウ城(Schloss Hohenschwangau)の壁画の中の、白鳥の騎士ローエングリンや、中世のゲルマン伝説の世界を追い求めるロマン主義でもあったため、現実と夢の狭間で苦悩するルートヴィヒⅡ。生涯独身だった王は、「女嫌い」や「男色王」と呼ばれることもあります。心から話が出来た女性は、オーストリア皇妃エリザベート(Elisabeth)でしたが《シシィ (Sissi, Sissy, Sisi)の愛称で知られる》、彼女の妹ゾフィー(Sophie)と婚約したルートヴィヒⅡは、結婚の日取りを何度も延期。終には、1867年10月12日に決まった結婚式の、僅か2日前の10月10日、ルートヴィヒより突然婚約解消。バイエルン中を沸かせ、記念硬貨まで作られ、婚礼用の豪華絢爛な黄金の馬車までも準備された「王の結婚」のニュースは、周囲の者たちを落胆させて終わってしまいました。

写真左:バイエルン王の座についたルートヴィヒ2世   写真右:婚約者ゾフィーと

Am 10. März 1864, stirbt König Maximilian II. nach kurzer Krankheit und am selben Tage wird der 18-jährige Kronprinz zum König Ludwig II. von Bayern proklamiert. Die Untertanen sind ihrem jungen König von Anfang an sehr zugeneigt und setzen große Hoffnungen in ihn. Aber Ludwig übernimmt die Regierungsgeschäfte völlig unvorbereitet, trotzdem dachte er immer, was er machen konnte, um sein Volk zu beglücken.

Im 1867 verlobt Ludwig II sich mit Sophie, der Schwester der österreichischen Kaiserin Elisabeth. Aber nachdem der König den Trauungstermin mehrmals verschoben hat, löst er das Verlöbnis schließlich auf.
Links: Der 18jährige Ludwig II.
Rechts: König Ludwig II. und seine Verlobte Prinzessin Sophie

FüssenルートヴィヒⅡが追い求めていたのは、16歳の時に出会ったワグナー(Richard Wagner)の音楽の世界(左の写真のお方)。王になったルートヴィヒⅡは、1849年にドレスデンで起きた、革命の主導者として逮捕状が出ていたワグナーを捜し出します。スイスへ亡命中だったワグナーは、城へ招かれ、「彼の音楽に関する全ての援助をする」という王の言葉を受けます。当時、金銭的に苦しかったワグナーには、願っても無い申し出。この日からワグナーは、再び新たな創作意欲を持って、素晴らしい曲を作り始めました。
が、ミュンヘン市民は、危険な革命家ワグナーを快く思ってなかったのです。彼に対する高額な金銭援助と保護に対し反対運動が起こり、遂にワグナーは国外退去となりました。

Richard Wagner war nicht nur der Lieblingskomponist von Ludwig II , sondern wurde auch sein "väterlicher" Freund und Berater. Wagners extravaganter, überheblicher Lebensstil und sein großspuriges Auftreten machen ihn unbeliebt. Am 10. Dezember 1865 musste er München verlassen. Ludwig II blieb bis zum Tode Wagners dessen Mäzen.

Füssen
政治的策略に巻き込まれ、個人攻撃にさらされる長い日々は、非常に純粋な心を持っていたルートヴィヒⅡにとって辛く、人間嫌いが強くなるばかり。そんなルートヴィヒⅡが求めたのは、全てが貴く美しいロマンの世界。その夢を叶えるため、あちこちに城を建設し始めました。
このノイシュヴァンシュタイン城も、その一つです。「中世風の美しい、白鳥の騎士の住むような城を作ろう」と思い立ったルートヴィヒⅡは、すぐに計画を始めます。古い城壁の残骸が残る地に、新しい城を建てるため、岩山を8メートルほど爆破して低くし、1869年に城の礎石が置かれました。
この城は、ワグナーの歌劇「ローエングリン」そのもの。城の建設は、ルートヴィヒⅡの死まで、17年もの歳月を費やしたにもかかわらず、完成はしませんでした。
写真をクリックして大きくすると、城壁の中に小さく人が見え、城の大きさが解ります。

Im Schloss ist es verboten zu fotografieren, deswegen habe ich auch mit den Fotos aus dem Heft gearbeitet.


城内は、撮影禁止だったので、パンフレットの写真で紹介します。(とにかくゴージャス
Füssen Füssen
玉座の間。城の見学で、最初に入ったこの間。あっけにとられました!何と言っても、この大きなシャンデリア。ガラス石のはめ込みがある金色の真鍮製で、その重さ900Kg。全部で、96本のろうそくが立つそうです。
写真左は、未完成に終わった部分。大理石の階段が、玉座に通じる予定でしたが、1886年6月13日王ルートヴィヒⅡの突然の死により、作業契約は全て解消。「玉座の無い、玉座の間」となりました。
Das ist der Thronsaal. bitte⇒Thronsaal

Füssen Füssen
豪華な王の寝室と礼拝堂。礼拝堂には、世界中の王の崇拝者が贈ってくる花束が、途絶えることがないそうです
Links: bitte⇒Schlafzimmer Rechts: bitte⇒Hauskapelle

Füssen Füssen
居間です。金色の真鍮製シャンデリアには、48本のろうそくが立ちます。城内の大きなシャンデリアに点けるろうそくの数は、いずれも12で割り切れる数になってるそうです。これは、ヨハネ黙示録に、「昔のエルサレムには、12の門があり、この恩寵と光の町のどの門にも、1本のろうそくが点っていた」と記してあったことからです。
写真右は、居間の一角にある白鳥のコーナー。白鳥は、王のお気に入りだったんですね。
bitte⇒Wohnzimmer

              Füssen
居間と執務室の間に、人工的な鍾乳洞がありました。この洞窟には、ワグナーのオペラ、タンホイザーに合わせた絵が飾られ、人工の滝もあります。ここを見た時、非常に孤独な王を想像してしまいました。
bitte⇒Grotte

Füssen Füssen
写真左は、最上階の階段。城の主階段は、王のためだけの階段だそうです。
写真右は、歌人の広間。壁絵の多くは、ワグナーがオペラの題材とした「パルシファル伝説」。どうしても歌人の広間が欲しかったルートヴィヒⅡは、この広間を中心にノイシュヴァンシュタイン城を建てさせたのですが、彼の存命中に、この広間が使われたことは、一度も無かったんです。時々、王一人で広間に佇み、歌人も客人もいない豪華な広間を眺めていたそうです。
Links: bitte⇒Oberer Vorplatz Rechts: bitte⇒Sängersaal

Füssenこれほどまでに慕ったワグナーは、1883年滞在先のヴェネチアで死亡。この「ワグナーの城」とでも言えそうな、ノイシュバンシュタイン城を訪れることは、一度も無かったんです。
ルートヴィヒは、失脚を望む側近達の陰謀で、1度も彼を診察したことの無い4人の医師の診断書により「精神錯乱」という病名をつけられます。1886年6月12日ノイシュヴァンシュタイン城内で捕らえられた後、かつては王が愛したベルグ城(Schloss Berg)に幽閉され、翌日の午後遅く、医師のグッデンと散歩に出たまま帰らぬ人となりました。城のそばにあるシュタルンベルグ湖(Starnberger See)に浮かぶ2人の遺体は、午後11時頃発見されました。自殺か他殺か、謎に包まれたバイエルン王ルートヴィヒⅡの最後。
ロマンを追い求めた一人の人間が、一国の王であったがために迎えた悲しい結末。オーディオガイドを聞きながら、次々に部屋を回っていくうちに、「おとぎの城」の華やかさの裏の悲劇が見えてきました。

bitte⇒König Ludwig II.

Füssen
これは、城の観光を終えて、帰る時に見たノイシュヴァンシュタイン城。この記事の、1枚目の写真と同じアングルなんですが、突然霧がかかって幻想的。ルートヴィヒⅡの歴史を知った後だったんで、何かミステリアスなものも感じました。

余談ですが1865年10月20日ー11月2日の間、ロッシーニが作曲したオペラ「ウィリアムテル」の世界を求めて、ルートヴィヒⅡはスイスを旅行しています。しかも、まず最初にルツェルンを訪れ、ホテル・シュヴァイツァーホフ(Hotel Schwaizerhof)に2泊ほど滞在し、船を1艘借り切って湖を遊覧し、ウィリアムテルの歴史を追い求めたそうです。隠密旅行だったため、名前を変えてホテルにチェックイン。彼をルートヴィヒⅡと気付かぬホテルマンは、ごく普通の小さな部屋を用意したそうです。長身&美形の姿に、他の泊り客が彼に気付き、ホテル側は、あわてて豪華な部屋を準備しましたが、ルートヴィヒⅡは「ここで十分ですよ」と言って、そのまま滞在したそうです。

Nach der Besichtigung beim Schloss hat der Nebel sich mehr und mehr verdichtet.

Die Schweizer Reisen: Am 20. Oktober 1865 quartierte sich im Schweizerhof in Luzern ein Mann ein, der,da nur noch drei Räume frei waren, ein kleines Zimmer im vierten Stock erhielt, während seine Begleitung im dritten Stock untergbracht wurde. Als der Hotelier erfuhr, wer der unbekannte Gast war, wollte er ein Zimmer im ersten Stock freimachen, doch Ludwig lehnte ab. Er hat den Ausblick auf den Vierwaldstätter See sehr genossen und reise ohnedies bald wieder ab. ( Von "Auf den Spuren König Ludwigs Ⅱ.)
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comment
- 知っているのと知らないのと -
わかりやすい解説、勉強になりました!!
古城や歴史的建造物も事前に知識があれば、ただ行っただけではなく興味深く印象深いですね。
ワグナーとルードリッヒ二世の関係も、このブログで分かりました。
追伸:ルードリッヒ二世色男ですね!
2008/04/13 19:06  | URL | 通です #-[ 編集] ▲ top
- 歴史はおもしろい -
通ちゃん、私もドイツの歴史に関して無知でした。
フランス革命は、例のマンガもあり良く知ってんだけどね。
このBlogのおかげで、私も勉強になりましたわ。(時間かかった)

しかし、日本人に人気のスポットなので、日本人観光客が
いっぱ~~~いでしたよ。あっちからも、こっちからも日本語。
一般道の道標にも日本語。これには、びっくりでした!
2008/04/13 19:24  | URL | Miyuki #-[ 編集] ▲ top
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